"人間性"について

アニメイトの透明ブックカバーってマジヤバくね?

お久しぶりですメガフライゴンです。

f:id:Undake:20180609215840j:plain


本来の役割である「本の表紙と裏表紙を傷つけないように保護する」という役割を果たしながら、絵師さんが気合を入れて描いた表紙絵が見えるなんて「こんなんチートや!チーターやんこんなん!」といった感じです。



今回は「ネット上での人間性」と「現実での人間性」の繋がりについて考えていきます。

考えが合わない方もいると思うのでその際は直ぐにこのブログを閉じていただいて構いません。






では、本題に参ります。

まず、「ネットでの人間性」というのはどういったものかと言うと、「笑いをとっている人」「暴言を吐いている人」「愚痴を垂れ流している人」等々多様な「表面的な」人間性ではなく、その奥に見え隠れする「深層的な」人間性のことです。



「ネットでの『表面的な』人間性」とは、所謂「キャラ作り」のことであり、その人がどう見てほしいのか、どんな風に接してほしいのか、ということを表します。

「ネットでの『深層的な』人間性」とは、「現実での『深層的な』人間性」と同じでその人の本来の特徴、例えば「寂しがり屋」「怒りん坊」「楽天家」などの事を指します。


この二つがあることを踏まえた上で、

僕は「ネット上でリアルの話を持ち出すのはお門違いだ」という方々にNOと申したいと思います。


先に示した通り、「ネットでの『深層的な』人間性」と「現実での『深層的な』人間性」は殆ど合致します。

どんなに『表面的な』人間性を偽ったとしても、少しでも見え隠れする『深層的な』人間性を隠すことは出来ず、その評価は現実でも全く同じこととなります。


例えば、ネット上での人間関係を維持するために間違ったことを言っている人を擁護したりする人は、現実で人間関係が途切れることに怯えている人なのだろうという推測ができます。


ネット上で間違ったことを言ってしまった後に撤回して謝罪することができない人は、自分の意見が何がなんでも正しいと思っている横柄な人柄なのだろうという推測ができます。


これが現実だったとしても同じです。

他人は以外にも自分より自分を理解していることもあるのです。

ネットで他人に間違いを指摘してもらえるのは、現実でミスを犯さないことが出来る様になる事なので、ただ不愉快だなんだという前に少し見つめ直してみるのもいいと思います。


ネット上での人間関係は細い分、大切にしないと直ぐに切れてしまいますが、逆に言えば簡単に切ることが出来ると考えることも出来ます。


ネットとは教訓を得られる場所です。

それを有効に使うことが出来ないのは道具を振り回すだけの猿と同じです。🐒🐒🐒


今回は以上です。

内容が硬くなってしまった上に

文字ばかりで読みにくくなってしまいました。

ここまで読んでくださった方々、

本当にありがとうございます。

f:id:Undake:20180609222020j:plain